(6) 東西南北に延びる鉄道 東北へ最短ルートを選択 – 産経ニュース



 明治時代、近代国家へと発展する日本を支えたのは物資や人を運び、輸送や移動に“革命”をもたらした鉄道だ。県内も早くから鉄道が整備された。日本初の鉄道開通(新橋-横浜間)から13年後の明治18(1885)年、わが国最初の私鉄、日本鉄道によって大宮-宇都宮間が開通し、翌年に黒磯まで延伸した(現在のJR東北線)。21年に両毛鉄道が足利-小山間(両毛線)で営業を開始。22年に水戸鉄道が小山-水戸間(水戸線)で開業。23年、日本鉄道により、宇都宮-日光間(日光線)も開通した。

 5年間の短期間で現在、県内を東西南北に走る主要路線が次々と開通している。

 県を南北に縦断する現在の東北線がまず整備されたわけだが、県立博物館(宇都宮市睦町)の大越惟弘(よしひろ)さん(34)は「仙台には軍の拠点があり、兵隊の移動など軍事目的の面も強い」と解説する。明治初期には陸軍の仙台鎮台があり、その後、改組されて第2師団が置かれた。

 日本鉄道は企業だが、明治政府の意向を反映する一面もあった。明治初期、西南戦争(1877年)などで予算もなく、国が鉄道を建設できる状況ではなかったのだ。

 計画ルートは足利や栃木などを経由する案もあった。国が殖産興業の柱とする養蚕業や製糸業が盛んな地域で、鉄道会社に出資する実業家らの要請もある。だが、最終的には東北への最短ルートが選ばれた。大越さんは「もしルートが変わっていれば、人の流れやものの流れが変わっていた」と指摘する。また、鬼怒川の氾濫被害を避けるため宇都宮-矢板駅間を線路を東側へ移動させて現在の路線となっている。

 他の路線も建設目的もはっきりしていた。足利や群馬の実業家らの要望も強かった両毛線は絹織物の搬送、日光線は観光。日光の北側の山地から木材や鉱物などを輸送する目的もあった。現在の東武鉄道鬼怒川線は発電所建設工事の資材運搬が主な目的。

 一方、カネを集める投機目的で計画する例もあったという。資金を集めてトンズラという極端な例もあるし、計画に許可が下りない例や資金が集まらず企業が解散など実現しない幻の鉄道もあった。

 また、時代の流れの中で廃線となった鉄道もある。明治中期に盛んに敷設された人車(じんしゃ)鉄道はレール上の客車や貨車を人力で押して運行。大谷石の輸送のための宇都宮石材軌道の他、那須、喜連川、岩舟などに造られた。建設費、維持費を抑えた軽量レールで速度も遅く、輸送力も小さい軽便(けいべん)鉄道、馬が線路の車を引く馬車鉄道もあった。 (水野拓昌) =おわり




こんな記事もよく読まれています



コメントを残す